阪神・梅野の勝負強い打撃とキャプテンシーのルーツはアマチュア時代にあり

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【球界ここだけの話】

阪神・梅野隆太郎捕手(30)は8年目の今季、130試合の出場で打率・225、3本塁打、33打点。レギュラーシーズンの最後の11試合は不振のため坂本にスタメンの座を譲る形となったが、セ・リーグ2位となる得点圏打率・321の勝負強さと高い守備力でチームを牽引した。さらに東京五輪の野球日本代表にも選出され、金メダル獲得にも貢献した。

そんな球界を代表する捕手に成長した梅野の選手としての原点ともいえるのが福岡大時代だ。恩師である樋口修二さん(69)=現九州六大学野球連盟理事=は教え子のことを「実力も運も持っている選手」と説明する通り、大舞台になればなるほど、力を発揮し、結果で示してきた。

1年時からDHとしてスタメンで出場。2年時の全日本大学野球選手権大会では2回戦の東洋大戦でプロ注目だった藤岡貴裕(元ロッテ、巨人など)から2安打を放ったことがスカウトから注目を浴びるきっかけになった。大会の予選で全く打てなくても本選では大活躍を見せる、というようなこともあり、そんな〝ここぞ〟での集中力は並外れていた。

また、周りを引っ張るキャプテンシーも大学で磨かれた。福岡大野球部史上初となる3年生で主将に就任。推薦した樋口さんは「1年生のころから試合に出ていて、経験や試合での判断力があった。当初は4年生からのプレッシャーもあったと思うが、試合で結果を出し続けて徐々に認められるようになった」と振り返る。

恩師が「今でもよく覚えている」という出来事がある。4年時、神宮大会出場をかけた九州予選で主戦投手が前の試合で登板していたこともあり、急遽、梅野の専属の打撃投手を務めていた3年生の投手が初めて先発に抜擢されたことがあった。監督の頭の中では「五回くらいまで持てば上出来」という計算だったが、代えようとしたタイミングでグラウンドを見ると「まだいける」と首を横に振る梅野の姿が。結果的に初先発の後輩を七回まで好リードし、扇の要としての手腕を発揮したこともあった。

さらにグラウンド外でも寮長を務め、野球部では練習メニューを自ら考案し、監督やコーチ陣に提案したことも。「彼が大学4年間で成長したように、私自身も成長して野球観が変わったと思っています」と樋口さん。そんなブレない芯の強さとリーダーシップがプロの第一戦で活躍する礎になったに違いない。(織原祥平)

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